大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和32年(わ)484号 判決

被告人 平林芳金 外七名

主文

被告人平林芳金を懲役弐年六月に、被告人皆川勇、同浜田義広、同浜田静夫を各懲役壱年に、被告人加藤乙雄、同北田芳雄、同金元潤を各懲役拾月に、被告人朴海満を懲役八月に処する。

被告人平林芳金に対しては未決勾留日数中弐百五拾日を右本刑に算入する。

但し被告人皆川勇、同浜田義広、同浜田静夫、同北田芳雄、同朴海満に対してはそれぞれこの判決確定の日から参年間右刑の執行を猶予する。

当裁判所の押収した各物件並びに前示各物件及び番号六の手提皮カバンを除く司法警察員が昭和三十二年三月七日及び同月八日に押収した各物件を被告人朴海満を除くその余の被告人七名に対し没収する。

訴訟費用中鑑定人谷山兵三、証人谷山兵三、同滝川昭二に支給した分は被告人朴海満を除くその余の被告人七名の連帯負担とし、証人浜口網助に支給した分は被告人皆川勇の負担とする。

理由

被告人平林芳金は昭和二十九年九月二十一日(上告取下により昭和三十年二月四日確定)大阪地方裁判所で覚せい剤取締法違反罪により懲役二年に処せられその当時その刑の執行を受け終つた外、その以前満洲の奉天の日本総領事館で麻薬に関する罪により二回処罰を受けたことがあり、早稲田大学経済科専門部二年中退と自称しているもの、被告人加藤乙雄は昭和二十四年六月八日(上告棄却により同年十二月二十四日確定)大阪高等裁判所で麻薬取締法違反、昭和二十二年政令第百六十五号違反罪により懲役一年に処せられ、その当時その刑の執行を受け終つた外、その以前中国の天津の日本総領事館で麻薬に関する罪により処罰を受けたことがあるもの、被告人金城こと金元潤は昭和二十七年十月十六日(上告棄却により昭和二十八年四月八日確定)福岡高等裁判所で外国人登録法違反、覚せい剤取締法違反罪により懲役八月に処せられその当時その刑の執行を受け終つたものであり、その余の被告人五名には未だ刑罰に処せられた前歴がないのであるが、

第一、被告人平林芳金、同皆川勇(被告人浜田兄弟の甥)、同浜田義広、同浜田静夫(被告人浜田義広の弟)、同北田芳雄(被告人浜田静夫方の店員)の五名は、昭和三十一年九月初中旬頃大阪市西成区松通りの被告人浜田義広方又は、同松通りの浜田静夫方で、営利の目的を以て覚せい剤の原末を密かに製造しようと共謀の上、その製造作業は被告人平林芳金が当ることとなりその後同年十二月十五日頃までの間にその資金として被告人皆川勇は二十万円を、被告人浜田義広は三十五万円を、被告人浜田静夫は六万円を、被告人北田芳雄は六万円を出し、これら資金によつて、被告人平林芳金は被告人皆川勇を助手として

(1)  昭和三十一年十二月二日頃から同月五日頃までの間和歌山県那賀郡打田町字上野三十七番地の三製綿業小島正方の工場内で塩酸エフエドリン約二ポンドを主原料としてその他の薬品及び機械器具を使つて覚せい剤(塩酸フエニルメチルアミノプロパン)の製造に当つたが、それに用いた触媒の塩化パラジウムの量が過少であつたため、一―フエニル――一―クロロ――二―メチルアミノプロパン塩酸塩(塩酸クロロエフエドリン)約六百五十瓦を産出したけれども、覚せい剤を製造することはできなかつた。

(2)  昭和三十一年十二月十九日頃から同月二十一日頃までの間前示小島方工場内で塩酸エフエドリン約一瓩を主原料として前同様覚せい剤の製造に当つたが、前同様塩化パラジウム不足のため塩酸クロロエフエドリン約五百五十瓦を産出したけれども覚せい剤を製造することはできなかつた。

第二、被告人平林芳金、同金城こと金元潤は山口広吉こと李永俊と営利の目的を以て覚せい剤を密かに製造しようと共謀の上、被告人平林芳金は李永俊及び被告人金元潤の手を経て入手した塩酸エフエドリン約二瓩二百五十瓦を主原料として昭和三十一年十二月二十五日二十六日頃の両日間前同様前示小島正方工場内で覚せい剤の製造に当つたが、前同様触媒塩化パラジウム不足のため塩酸クロロエフエドリン約一瓩二百五十瓦を産出したけれども覚せい剤を造ることはできなかつた。

第三、被告人平林芳金は、李永俊と営利の目的を以て覚せい剤を密かに製造しようと共謀の上、李永俊から入手した塩酸エフエドリン約三ポンドを主原料として昭和三十二年一月十三日十四日頃の両日間前同様小島方工場内、引き続いて大阪市西成区松田町の被告人加藤乙雄方で覚せい剤の製造に当つたが、前同様触媒不足のため塩酸クロロエフエドリン約三百四十五瓦と約六十瓦計約四百五瓦を産出したけれども、覚せい剤を造ることはできなかつた。

第四、被告人平林芳金、同皆川勇、同浜田静夫は昭和三十二年二月十日頃営利の目的を以て密かに覚せい剤を製造しようと共謀し、また一方被告人平林芳金、同加藤乙雄は同月十四日頃営利の目的を以て密かに覚せい剤を金沢市内で製造しようと共謀し、同二月十八日頃から二十四日頃までの間それぞれその資金として被告人皆川勇は十万円を、被告人浜田静夫は五万円を、被告人加藤乙雄は五万円を被告人平林に出した。同二月十九日頃被告人平林芳金、同加藤乙雄の両名は、神戸市内で塩酸エフエドリン八ポンド買い入れ、その後大阪市西成区松田町一丁目十七番地の被告人加藤乙雄方で前示和歌山県那賀郡打田町の小島正方工場内で使用した機械器具等の荷造りをしてこれを金沢市下高儀町六の加藤栄太郎(被告人加藤乙雄の兄)宅に発送した。

同月二十七日被告人平林芳金及び被告人加藤乙雄の両名は、前示塩酸エフエドリン八ポンドを携えて金沢市に行き、昭和三十二年三月六日、七日の両日にわたり金沢市南石坂町六番地の三の芸妓金森春江(被告人加藤の妾)方で右塩酸エフエドリンを主原料として到着した前示機械器具その他取り揃えた器具薬品等を用いて覚せい剤の製造に当つたが、塩酸クロロエフエドリン約三瓩二百十五瓦を産出していた際、同三月七日午後六時三十分頃警察官に踏み込まれ右被告人両名は逮捕せられて、覚せい剤製造の目的を遂げなかつた。

第五、被告人新本、井上こと朴海満は昭和三十二年二月十九日頃神戸市生田区元町三丁目三十五番地の同被告人方で、法令によつて認められている場合でないのに拘らず、金某の依頼によつて、覚せい剤原料である塩酸エフエドリン八ポンドを李幸一の仲介で高島正一こと高性峻に九万六千円にて売渡した。

(証拠)(略)

(法令の適用)(略)

(本件覚せい剤製造に関する所為は、事実の欠缺又は不能犯に当る場合であるから、その製造未遂罪は成立しない、との弁護人の主張について)

いわゆる事実の欠缺と称せられるものは、通常行為の主体、客体、手段、行為の事情等につき、犯罪の構成要件に該当する性質が具備していないのに行為者がそれらが具備しているものと信じて行為(例えば死者を睡眠中の人と信じて殺そうとし、毒物でないものを毒物と信じてこれを用いて殺人しようとする)をした結果、構成要件が実現しなかつた場合を意味するものと解せられるのであつて、この事実の欠缺の場合は未遂犯か不能犯かの問題とは異なる犯罪不成立の場合であるとする説がある。しかしこの説は、未遂犯の本質について客観説に立つものであつて、主観説により、未遂とは犯罪構成要件を実現せんとする意思を外部的行為によつて表現したが構成要件を完全に実現しなかつた場合であるとするにおいては、いわゆる事実の欠缺の場合は未遂犯であるか不能犯であるかの問題に帰するのである。

不能犯とは、行為の性質上結果を発生させる可能性のない行為、換言すれば、犯罪構成要件を実現する可能性のない行為であり、犯罪を構成しないものであつて、その未遂犯との区別は結果発生の危険性の有無にある。未遂犯と不能犯との区別の標準如何について、諸説あることは弁護人の論ずる通りであるが要するに、その区別は未遂犯にはその具体的行為に結果発生の危険が存する点、言い換えれば犯罪構成要件のもつ定型化された実質的違法性を充足している点にあり、その結果発生の危険性即ち犯罪構成要件的結果発生の可能性は、行為者の認識自体を中核として外部的行為につき社会心理的、一般経験的に抽象的に存すれば足るのであつて、具体的、客観的に存在することを要しないのである。

本件被告人平林芳金が覚せい剤製造に用いた化学的方法は、(1)原料塩酸エフエドリンをクロロホルムと塩化チオニールを用いて塩素化してクロロエフエドリン塩酸塩となし、これをエーテルで分離析出し、これをアセトンによつて精製し、(2)右クロロエフエドリン塩酸塩を塩化パラジユウムを触媒として水素で還元して(この際脱色剤となる活性炭素と、クロロエフエドリン塩酸塩の水溶液を酸性にして塩化パラジユウムの作用を十分ならしめる塩酸とを用いる)粗製塩酸フエニルメチルアミノプロパン(覚せい剤)となし(3)その粗製覚せい剤を減圧蒸溜して精製した上、これをエーテルで再精製する工程であつた。本件犯行において被告人平林は覚せい剤製造する目的で右(1)(2)(3)全工程を実施したのに拘らず、塩酸クロロエフエドリンができた以上に化学反応が進展せず、覚せい剤ができなかつたのは、鑑定人谷山兵三の証言によれば、被告人平林が右覚せい剤の製造工程において使用した触媒塩化パラジユウムの量(原料塩酸エフエドリン四ポンドにつき塩化パラジユウム四瓦)が過少であつたためで、水素還元を完全にして覚せい剤を造るためにはその約三倍量が必要であつたのである。

従つて被告人は、本件各犯行の場合には、塩化パラジユウムの量が過少であることに気附かず、過少に塩化パラジウムを使用したのであるから、具体的客観的には、覚せい剤はできる筈なく、その製造は不可能であつたと言えるけれども一般的抽象的危険ということを考えるならば、その塩化パラジユウムの適量を用いることもその量が過少であるとの点に考え及んでその量を増すことも通常ありうることであり、たまたま本件の場合に被告人平林が左様な行為に出なかつたに過ぎないものであるから、そこには覚せい剤が製造される危険は十分あつたものと認められるのであつて、不能犯ではなく、覚せい剤製造の未遂罪が成立するものと言わなければならないのである。

よつて主文の通り判決する。

(裁判官 塩田宇三郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例